2011年6月29日水曜日

7月5日ミーティング

場所が決まりました。
前回と同じ「大崎第2区民集会場」です。参加される方は7月2日(土)までに、角屋まで連絡を。またはコメント欄に書き込みを。
8時半からは、大崎駅前の「さくら水産」で懇親会。こちらも同様に参加連絡をお願いします。
どちらもボランティア参加経験者、ボランティア参加希望者なら、誰でも参加できます。(角屋)

2011年6月28日火曜日

古新聞?


この新聞、先日荷物整理をお手伝いしたお宅に有った物を、整理するからと頂いてきた物です。
1964年10月11日の朝刊。

そう、東京オリンピックの開会式を伝える内容です。


荷物整理をお手伝いしたお宅は、新聞社の宮古支局をされていたそうで、古い新聞やカセットテープ、VHSのビデオテープ、宮古の古い地図や宮古に関する書籍などが沢山有り、さながら資料館のよう。
新聞はキチンと整理されていたので、とてもきれいな状態で残っていました。

と・こ・ろ・が…

何気なく置いておいたところ、古新聞と勘違いされたのか、一部(表紙と2枚目)がどこかへ消えてしまいました。


まぁ、放っておく方が悪いんですけどね…
※多分一番幼い頃の記憶かな、東京オリンピックって

軽くショックです。

(石関)

今朝の散歩

今朝、イタリア人の一歩さんとアメリカ人のアリシアさん、地元のYさんと一緒に、津波で壊れた線路の鉄橋まで行って来ました。

以前宮古へ来た際、線路脇の被害が酷かった地区はガレキの山だったのですが、撤去が済んでます。
クルマが4台並んで入っちゃっていた家もクルマが撤去されていました。




写真は、津波に押されてはみ出た線路を見つめる一歩さん。

※この後午前中に、一歩さんとアリシアさんは津軽石まで行ってきて、相当ショックだったようです…

(石関)

2011年6月27日月曜日

Tシャツ


今日、牧師先生が買ってきたTシャツ。


こっちは背中側。

この“宮古市はかならずや復興いたします”というのは、毎朝宮古市の広報放送が市内を流れる際の締めのセリフ。

この広報放送、ワタシが4月5日に初めて宮古を訪れる以前から、ずっと毎朝流れています。
広報の内容自体は震災後の手続きなどの内容が主になります。
最初の頃は被災証明の取り方やガレキの撤去や不明者捜索についてなど、最近では高速無料の為の申請方法などetc。
内容が少しずつ“軽く”なってきているように感じています。


本日作業させて頂いた方のお宅の納戸。
津波で水浸しになった後、床板剥がしなどをせずにそのままだったものを、3ヶ月以上経って依頼が有りやっと掃除に着手。
床下の隅の方はまだ湿気がひどくヘドロがへばり付いている。

このお宅の作業の最中に足りなくなってきた物を教会の倉庫へ取りに行く際、以前片付けをさせて頂いた魚屋さんの前を通り、魚屋さんの親父さんとしばらく話し込む。
この魚屋さんの片付けをさせて頂いたのは4月の初め。
我々の作業は結構大変だったのですが親父さん曰く、早めに片付けてもらってすぐに大工さんに入って貰う事が出来てホントに良かった、と


被災者の方の認識はそれぞれです。
どういう優先順位で身の回りを片付けていくか、手続きをしていくか、何かを捨て何を残すのか…
我々では到底測り知る事が出来ない判断を日常として迫られ、こなしています。
身も心も潰される思いの方は大勢いらっしゃるでしょう。

でも、宮古の被災者の方々と接している我々は信じて疑いません。
“宮古市はかならずや復興いたします”と。

(石関)

ミーティングを行います

7月5日(火)夜7時。大崎にてミーティングを行います。
今回は、前回時間切れで決まらなかった「組織化」と「登録制」について話し合いたいと思います。
8時半からは懇親会にしたいと思いますので、ボランティア参加経験者、これから参加を考えていらっしゃる方も参加してください。
参加希望者は7月2日(土)までに角屋宛に連絡をください。コメントに書き込んでくださいっても結構です。連絡のあった方には会場をお知らせします。

2011年6月26日日曜日

お弁当

教会で美味しいご飯を作って下さる、避難所で生活している被災者のYさん。
時々避難所で配給されているご自身のご飯(ほか弁なのですが)を持って見えます。

ちなみに今日の献立。
朝食 揚げ物が2種類入っているのり弁
昼食 味の濃そうな焼肉が(お世辞にも多いとは言えない量)乗っている焼肉弁当
夕食 焼鮭、メンチカツ、玉子焼きがおかずの、幕の内風?弁当

…全体的に彩りの乏しい、野菜類が極端に少ない、茶色系ばかりのメニュー。
自衛隊の方が炊き出しを行っていた際には、もうちょっと豊かなメニューだったと思うのですが。


避難所には比較的お年寄りが多く、積極的にならないと身体もなかなか動かしません。
また、朝から揚げ物、続いて昼には焼肉と、人によっては結構ヘビーな食事。

食事の彩りや見た目が乏しいと、心の食欲が満たされ難いと思うのはワタシだけ?

(石関)

ゆったりした一日

日曜日は礼拝の日。
しかし我々は午前中は側溝のヘドロさらいです。

写真の主は一歩さん。イタリア人のクライマーです。
物静かで真面目な紳士です…が、やはりイタリア人。女性に優しい。

午前中で作業は終わり教会へ戻ると、礼拝後に牧師先生と教会員さんが総会を行っていました。
本来はもっと早い時期に行われているそうですが、震災の影響で今日に。

教会の入口に咲いているバラ。
斜め向かいに住まわれている教会員さんにお世話頂いています。

お昼ごはんは魚菜市場へ。

これはヒロケンさんが食べていたアワビ入りラーメン!
値段は…ン千円。さすが太っ腹。

午後は教会の幼稚園を視察。
実はある計画が密かに練られているのですが、未だヒ・ミ・ツ。
クライマー的にはとても楽しみな計画です。

その後、週末に来て今夜帰る方々と一歩さんと鍬ヶ崎へ。
宮古の中心街からは一番近い、津波の被害が集中している場所です。

鍬ヶ崎小学校に建設中の仮設住宅。
未だ外壁しか出来ていません。
屋根がトタン、雨音がウルサクないのかな。


さぁて、夕ごはん作り始めよう。

(石関)

あっと驚く伊人さん

ただいま来宮古中の、伊出身中国育ち?の一歩さん。

トシルも、差し入れで頂いた焼きウニも、イカのワタで味付けした炒め物も、磯臭さをモノともせずに食べ進んでます。
しかもイタリア北部出身なのに。

さてさて、宮古ボラセンも腐女子の米女子に続いてインターナショナルになって参りました。

(石関)

2011年6月24日金曜日

ボランティアな面々

今朝帰られた北海道の方々は、会社ぐるみでいらっしゃってました。
社長が元YMCAの方、若い社員の方達と総勢4人。

今朝の早い時間に社長がまず、夕方に札幌で会議が有るからと先発で。

その後若い社員の方々が帰られたのですが…
なんと、みなさんバスの時間を勘違いされていて、駅前で記念撮影していたらバスが行ってしまいまして。
しょうがないから朝からやっている魚菜市場で沢山?お金を使われて帰られたようです。
無事に北海道へ着いたのかな?


地元在住のボランティアの方がリーダーをやってくれています。
Hさん、男性。

自身も被災者なのですが、地元(教会のすぐそばに在住)の強みを活かして周囲の方々との情報交換やコミュニケーションなど、宮古弁を駆使して、特にお年寄りとのやり取りは我々が逆立ちしたって絶対に敵いません。

今日お邪魔したお宅では、依頼者の方と中学~高校が一緒。
もうこれだけで我々は降参。

変な例えですけど、地元の肴には地酒なんでしょうかね。
でも、地方の酒も合わせてみてね。

(石関)

2.5回目

おはようございます。
先週2回目の宮古に来たのですが、仕事の都合で中抜けしてまた戻って来ました。
なので2.5回目。

今日の宮古は朝から雨。
北海道から来ていたボランティアの方々が帰られ、今度は横浜YMCAの方がいらっしゃいました。

今は朝のミーティングです。

まだまだ片付いていない家が有り、ここ何日かそこの家での作業です。
蒸し暑いですが今日も安全第一です。

(石関)

2011年6月23日木曜日

近況

6月22日。きょうは現地YMCAコーディネーターの池田さんと電話で話をしました。イタリアからの「一歩一歩」ことアンドレアさんの受け入れについてでしたが、受け入れを歓迎していましたので安心しました。一歩一歩は今日は廣川氏と合流し、きのポンの妹さんの通訳で、現地の説明を受けています。(飲んでいるのかな?)

そのほかに池田さんと話したことが重要です。

拠点には夏物衣料等を見に来る方が多いとのこと。「支援物資は足りていますか」との私の質問に対し、「割高なのは覚悟の上で、宮古市内の小規模店舗で購入して支援物資を仕入れている」とのこと。宮古市内での経済的な循環を促すためです。小規模店舗を偏りのないように回って買い出しをしているとのことですが、どこも品薄だそうです。その理由は仕入れの元金の問題だそうです。気にとめてください。

それから石関さんが高速通行料の情報を入れてくれています。ちょっとしたチャレンジ。私も品川区役所で、送る側での申請が可能にならないか交渉してみようと思っています。品川区は宮古市と防災協定の姉妹都市です。(角屋)

追伸:シドニー(だったっけ?)から学生がたくさん来る予定だそうです。ほりうちさん、あおがくよりこっちで語学力を発揮してみませんか。日程は未確認ですが、コーディネーターのアシスタントとして、英語が達者な方の再訪を期待しています。

2011年6月20日月曜日

地域交流

前回避難所を訪れた際、避難所の方の娯楽が無いということが、非常に気がかりでした。
今朝6時半に宮古小学校で、ペタンクをされている方と、宮古ボラのメンバーで交流試合をしてきました。
この交流を通して、避難所の方が少しでもリラックスできる時間ができたらよいなと感じました。

明日もペタンクの朝練に参加してきたいと思います。

Hoda 記

2011年6月18日土曜日

宮古再び

Hodaです。

2度目の宮古入りです。
早朝宮古入りしましたが、町の街灯の明かりに驚きました。
瓦礫も見当たらず、少しずつではありますが、復興していることを実感しました。

一方、個人レベルのニーズは何ら変わらず、側溝のヘドロかき、倉庫の片づけや床の洗浄などが見られます。

まだまだ我々の出来ることがたくさんありると感じました。

明日も倉庫の片付けと、汚染物の洗浄がんばります。

Hoda 記

2011年6月16日木曜日

仮設住宅

いま宮古では、被災者の方々の仮設住宅の建築、仮設住宅への引越しなどが順次行われ、様々な課題が浮き上がっています。
その中でも特に気になった点を…

仮設住宅の内装をいじってはならないと、役所から通達されていると。
壁に釘やネジ、画鋲も打ってはならないとの事です。

って事は、
つるんつるんの鴨居も無い内装の壁に釘やネジを入れられないので、雨の日などに室内干しも出来ない、カレンダーも掛けられない、壁掛け時計も設置出来ない、服をハンガーで壁に掛けられない…

仮設住宅は決して広くありません。
収納も多くはありません。
以前お住いになっていた家から持ってきた荷物をある程度収納するには、空間の有効利用しか手立ては無いわけです。


多くの仮設住宅はお年寄りの方々には“高い”作りになっています。

仮設住宅はあくまでも仮設なので、地面を深く掘り下げて配管などは行っていないために縁の下が通常の住宅より高く作ってあります。
そのために玄関へ入る際に3~4段の階段を登るのですが、手すりが付いていません。
段差が割と高い為、お年寄りには大変です。

外の洗濯物干し台は、普通は目線の辺りにひょいと掛けると思うのですが、これは腰が曲がったお年寄りにとっては高すぎます。


しかし仮設住宅は、今のところ2年まで利用し、その後は再利用の予定は無いようです…


なぜ?
利用者の立場は?
通常の賃貸でも壁を傷つけて欲しくなければ代替えのモノが付いているのでは?

?がいくつも湧いてきます。

(石関)

2011年6月14日火曜日

砂利洗浄

今回2度目の宮古でのボランティア。
通算…21日目?

昨日今日は、ボランティアに来て頂いている地元の方の隣家、Fさんのお宅で作業をしています。

作業内容は、フローリングの床板剥がし→床板(コンパネ外し)→床下に敷いてある砂利を採取→砂利を表で洗い→また床下に戻す…
現状の人員を総動員して掛からなければ出来ない、なかなかハードな作業です。


フローリングの下にコンパネが敷いてあるですが、接着剤でお互いが付いているのでバールでバリバリと剥がし、コンパネもなるべく壊さずに釘を抜き外す。


で、床下に敷いて有った砂利を表に出して…


カゴに砂利を入れて高圧洗浄機で満遍なく洗い、また床下へ戻す。
欲張って砂利を沢山入れると重くて扱えないので、作業進捗の歩みは遅いですが少量ずつ洗っていきます。

根気の要る、長い作業になりそうです。





昼休みに教会へ戻ったところ、本を虫干し中。
ダーウィンの種の起源。
1915年初版の本のようです。
歴史ある教会なので、他にももっと古い本が有りそう…


石関

2011年6月9日木曜日

第2回ミーティング

6月7日。「被災地にクライマーを送る会」の第2回目のミーティングを、大崎第2地域センターで行いました。第1回よりも出席者は少なかったのですが、YMCAからは光永さん。この会以外からも、現地で一緒にボランティアをされた方なども参加され、有意義な話し合いがされました。この会の足元を固めるための話し合いでした。

「被災地にクライマーを送る会」は、被災地において、クライマーや登山家の特徴を活かしたボランティア活動を展開することが目的です。つまり、「ライフラインの整わないような場所でも、生活し、活動できる」「問題解決能力がある」「精神的、肉体的にタフである」「危険な場所でも、自己責任の認識を持って活動できる」というような、クライマーや登山家なら持ち合わせている特徴を発揮することです。これは、受け入れ側にとっては実に安心な条件です。

これらのアイデンティティーを保ちながら活動していくためには、やはり「クライマーである」「登山家である」というような条件は満たしていなければなりません。そういうわけで、今後は「登録制」にして参加者を会員として考えて行こうと思います。しかし、会員の知り合いや家族等が、一緒に参加するケースもあります。その場合は現地受け入れ先への、一般ボランティアとしての申し込みは代行する考えです。

また突然起こった災害に、何の知識も経験もなく立ち上がった会ですので、全てが手探り状態です。修正、修正・・・の連続ですが、今後我々の会が社会が必要とするような会になれば、クライマーや登山家も少しは見直され、社会的な認識も変わってくるのではないかと期待しています。
(角屋)

2011年6月7日火曜日

もう一度会いに行こう

6月6日(続) 教会の並びにあって、私たちの活動にもご尽力いただいている「割烹 川俣」さんが営業を再開しました。作業のあと伺うと、老舗の包丁さばきを待ちかねていた地元の人で大賑わいです。

宮古は着実に明るさを取り戻しつつあります。角の花屋さんに並ぶ鉢の数々も、思いっきり華やかです。連休前に床板剥がしとヘドロ除去を手伝わせてもらったHさんも、センターで毎日ボランティアのリーダーを務めています(嬉しかったぁ)。しかし、3カ月を経たいま、住居内の整理・清掃・ヘドロ除去の依頼が再び増えているようです。やっと少し落ち着いて、難題に立ち向かっていらっしゃいます。宮古には全く手つかずの地域もあります。

この日は、昼過ぎに帰京するMさんと入れ替わりに、東京・奥多摩からYさん夫妻が参加され、午前に引き続いて3本東にある通りの側溝ヘドロ出し。ヘドロの上に粉塵が分厚く堆積して側溝全体を固く埋め尽くしていました。若干怯みましたが、近隣の方々も続々と完全武装で現れて、一気に制圧しました。神奈川の高校生集団も大奮闘でした。

必死の思いでご依頼される住居内・床下ヘドロ除去と側溝制圧の2大ミッション。それに、いまでも呆然とせざるを得ない手つかずの地域。長期の支援が求められています。      たなか  

今後の方向性について

角屋です。
前回5/20の打合せを受けて、YMCAの皆様と今後の方向性について確認いたしました。
主な確認事項は以下の通りです。

1.一般ボランティアについて
GW以降の現地のマンパワーを考慮すると、「被災地にクライマーを送る会」ボランティアだけでなく、一般ボランティアの参加も増やす必要がある。YMCAでも一般ボランティア参加拡充を進めて欲しい。

→ YMCAでは一般ボランティアを増やすために以下のような試みを行っています。
・全国のYMCAからの中長期ディレクター、ボランティアの参加募集
・一般のボランティアも参加募集
・岩手大学学生による毎週土曜日の活動の継続
・大学と高校からの団体の受け入れ(6~7月、青山学院短大、聖光学院等)
・全国YMCA協働の野外活動の計画、リーダー派遣
・クライマーの会も協働していただける現地でのアウトドアプログラム。
・全国YMCAが協働して主催する被災した地域の近くでのプログラム
・全国22箇所のキャンプ場等において、避難している方にも参加していただける野外プログラム参加の呼びかけ。


2.津軽石でのボランティア拠点(サテライト)開設に向けた準備
宮古市街では日々復興が進んでいる一方で、津軽石地区などまだ手が着けられていない地域もある。宮古市街での活動が軌道に乗ってきた段階で、「被災地にクライマーを送る会」の2回目以上のメンバーを中心に、津軽石地区にボランティア拠点(サテライト)を起こしたい。但し、初参加のメンバーはまず、原則として宮古市街の活動を行う。

→ YMCAとしても基本的に方向性には賛同できますが、以下の課題があると認識しています。
・YMCA宮古ボランティアセンターのサテライトとして実行していくのか。
・行動中はビブスの着用など、今までのスタイルの踏襲は行うのか。
・現地での連絡、調整機能はどのように確保していくのか。宮古VCへ問い合わせしてもらう形にするか。
・宮古の活動報告は、YMCAで毎週報告書を作成しているが、サテライトの活動報告も同様に必要となる。(最低限の報告事項として、参加者名、人数、内容、成果などの記録と引継ぎ記録、報告、連絡、相談のルートの確認等)

3.物品提供のあり方
物品提供にかかわる難しい問題にも、消極的にならず、「どうしたら目の前の被災者を救えるか」という観点で、チャレンジしたい。(わが会の独断では行わないようことは原則)

→ 個別の対応は益々難しくなっていく可能性はあるが、規約的なルールがあれば良いと考えられる。

以上

2011年6月6日月曜日

宮古だより 6/6

本日の作業は、教会近くの町内会有志の方々と共同で、街路の側溝掃除です。今週は、横浜の高校生が研修で延べ80人、(4日に分けて)作業の手伝いに来られており、本日は、地元の方も含め、人数をかけて順調に作業を進めています。

ブログの更新、スケジュールの更新については、今後のボランティア参加者の方々も実施できるよう、真野さんにマニュアルを作成していただきました。教会のボランティア連絡ノートにプリントアウトして貼り付けておきますので、ご活用お願いします。あわせて、このブログの末尾にあるスケジュール表の更新の方法も、マニュアルを作成いただきましたので、同じく連絡ノートに貼り付けておきます。

また、教会の共用PC(パナソニックLET’S NOTE ※2台あるうち片方)のデスクトップにも、ワードファイルにデータを貼り付け、ショートカットを作っておきました。ご活用お願いします。今後もこのブログが更新され続けるよう、帰京の際に、残られる方への申し送り事項として伝えていただければ、と思っています。

私は本日午後帰京しますが、今後も機会を作り、宮古を再訪したいと考えています。
(6/7のミーティングには所用あり出席できません。最新情報をお伝えできないのは残念ですが)

望月

2011年6月5日日曜日

今週のボランティア人数予定

本日こちらで確認できた限りで、明日以降、来週末(6/12)までのボランティア人数をカレンダーへ記入しておきました。
望月

宮古だより 6/3~5

望月です。
6/3(金)より、2度目の現地入りをしております。こちらの状況を簡単に報告します。

まず、ボランティアスタッフの人数は、
6/3 V:6名、YMCA:3名、地元:2名
6/4 V:9名、YMCA:3名、地元:1名
6/5 V:3名、YMCA:3名、地元:1名
という感じです。1日に1~2パーティを組み、作業しております。

明日以降、一般ボランティアは減少しますが、(私も明日には帰京予定)神奈川の高校生が一週間ほど20名/ 人で訪れる予定とのことです。来週末には、再度、ボランティア人数がある程度は予定ありとのことです。(詳細、カレンダーへ更新しています)

次に、作業の状況について。
現在も、お手伝いする作業は、教会のご近所中心で、床下のヘドロ出し、屋外の側溝掃除が中心でしたが、本日は、宮古港近くの地区へ出向き、震災以来、まったく手がつけられていなかったお宅にて、室内の荷物撤去・床上のヘドロ除去という作業のお手伝いでした。
作業したお部屋は、まさに3.11以来、時間が止まっていたに等しいという印象でしたが、同時に、こういったお宅が実際にはまだまだ存在するのでは、とも感じています。

以上

2011年6月2日木曜日

ミーティング会場の変更

来週のミーティング会場が予約出来ました。
大崎第二区民集会場の第二集会室です。
大崎駅南改札を出て西側に進み、シンクパークタワーの左側に回り込みます。建設中のソニービルの裏手。大崎ウェストシティータワーズにあります。徒歩3分。
会場が広いので、連絡を差し上げていない方でも希望者は参加可能です。

懇親会はさくら水産で、8時半から。初めての方でも歓迎です。

必ず土曜日までに出欠の連絡をください。連絡方法がわからない方はコメントに書き込みを。
(角屋)