2011年5月31日火曜日

第2回ミーティングと懇親会

来週、6月7日(火)。「被災地にクライマーを送る会」のミーティング&懇親会をします。

ミーティングは場所がスタバなので、数名にしか声をかけていませんが、是非参加したいという方にはお知らせしますので連絡ください。内容は、最近現地に行かれた方から報告を聞き、津軽石の可能性について検討します。

懇親会は8時30分から大崎のさくら水産の予定です。これから初めてボランティアに参加しようと考えていらっしゃる方の参加も歓迎です。

角屋

2011年5月26日木曜日

長期の支援に向けて

ゴールデンウィーク明けに極端に減ったボランティア派遣ですが、ここにきてすこしづつ参加表明が届き始めました。三陸を中心とした広範囲な災害の為、さまざまな地域で、長期支援を必要としているのですが、ひとりが全ての地域を支援することは出来ません。我々は最後まで宮古に付き合う覚悟で支援していくつもりです。ほかの方がほかの地域をしっかり支援してくれればよいのです。自分の力を過信せず、自分は「一人前」の働きをしましょう。「二人前」など無理ですから。

当初から行っている交通費の補助ですが、必要な方のみに補助をします。まだ、「必要なのに補助してもらっていない」という方は申し出てください。これからも必要な方には補助をする予定です。しかし、募金によって集められた資金も底をつきそうです。募金もよろしくお願いします。寄付をお願いするとともに、募金活動も積極的にお願いします。

交通費の補助を辞退された方の分は、現地での活動費(活動に必要な経費、支援の為の資金等)に回します。

よろしくお願いします!

2011年5月15日日曜日

ミーティング

5月20日に東京・大崎でミーティングをすることになりました。

第1部:夜7時からは、飲む前に主に送り出す側(会の運営側)のミーティングで、これまでのまとめを主な議題にしたいと思います。

第2部:8時半からは居酒屋で、宮古のボランティア参加者やこれから参加を考えている方を含めて懇親会をやろうと思います。その場では、参加者からの声を聞いて、今後の活動に生かしていきたいと思っています。多分大崎駅前のさくら水産になると思います。参加してくださる方はメールください。→chimney.kadoya@docomo.ne.jp
角屋

2011年5月14日土曜日

バール日和

GWが終わり、大勢のボランティアメンバーが去ってから、早いもので1週間がすぎました。
メンバーの縮小と変遷とを経て、センターの様子や活動の在り方・内部のシステムなども変わっていきます。
同時に、求められるニーズも時間とともに新たなステージに移行していくようです。

たとえば。
いまは、被災者の方が「元の住まいを残すのか/解体してあらたに建直すのか」という二者択一に迫られる時期に差し掛かっているようです。
後者であれば荷物を屋外へ運び出し、物質的な解体前の下準備のようなことをするでしょう。
ただしここ数日活動して感じた限りでは、少なくない方々が今までの住まいをなるべく残したい、と希望されているような気がします。
そうした希望の反映か、我々の作業もヘドロ除去等にとどまらず「残された住まい」の中で何をどこまで残すかという選択にまで、まま踏み込んでしまいます。
我々はどこまで踏み込んでいいのか、そして本当に被災者の心と記憶に「寄り添い」得るのか? 作業の手を止めてついそんなことを考えてしまいます。

さて。
昨日のおしごとです。
解体せず骨組みを活かす方向で進んでおられるお宅です。
カーペットが板敷に接着されているので、バールを使ってバリバリ剥がしていきます。
この方法は現地ボランティアのH君に教えてもらったのですが、実にうまい方法だと思います。
依頼者と一緒になって剥がしながらバールの凄さを語り合いました。
作業中に視察にきたセンター長に、依頼者から「カレシはバールに目覚めたみたい」などと報告され一笑を買う場面もありました。
最終的に作業はひと段落、あとは大工さんの領分となります。



                                       報告者:田野

2011年5月11日水曜日

5月11日

本日の活動の様子です。

左は床下ヘドロ出し作業をするMさん。
このほか、引っ越し準備の手伝い、本の清掃、厨房の清掃の作業がありました。

GWが明けて、大幅に人が減っていた宮古ボランティアセンターですが、ぼちぼちと人が入ってきて、今晩は16人での食事になりました。

そして今日一日で依頼が6件。このボランティアセンターが宮古の人たちに信頼されてきている証と思います。ありがたいです。

いまちょうど被災された方々が、これからの生活を作っていこうと動き出している時なんだと思います。だから家の清掃とか、片付けとかの依頼が増えているのだと思います。

しかし明日までで、私を含め4人が抜けます。
まだまだお手伝いできることはたくさんあります。
多くの方にお手伝いいただきたいと思います。

2011年5月7日土曜日

日常と非日常

GWも終わろうとしています。

明日からこのボランティアセンターの人数は、大幅に減ってしまいます。

宮古に来る前は、会社に行って仕事をし、ご飯を食べて寝る。
余暇には恋人と時間を過ごしたり、親友と時間を過ごしたり。
山屋ならば山に行き、呑み助ならば飲んだくれ…。
それが日常だったはずです。

宮古での出来事は非日常であったはずで、ここでの活動は、日常から少し離れた場所に入って行くだけ。
そんな気持ちでやって来た人も多いことでしょう。

宮古で生活を続けていると、今まで非日常と思っていたことが、だんだん日常へと変わっていくのです。

宮古での活動を終え、自分の生活に戻っていくとき、これからの生活が非日常であるような感覚を受けてしまいます。

被災地での直接的な支援だけがすべてではない。今までの生活に戻っても、出来ることはきっとある。
そう思って、“非日常”へと旅立って欲しいと思います。

                 Hoda 記

2011年5月6日金曜日

蔵のあるお家

今日は築地地区のKさん宅の家の片づけ。

愛宕小学校に避難している老夫婦のお宅に行き解体予定のお家から必要な荷物
を搬出するべく荷物をまとめる。
1階の荷物をダンボール箱に詰め脇に寄せスペースを作り隣接する蔵の二階にある
荷物を整理して下に降ろす。

このお宅のお母さんはお茶を教えているとのことで運び出す荷物は茶器が多い。
開梱したときに分かりやすいよう1つづつ風呂敷に包み荷札を付け、それを3ケ~4ケ
にまとめてダンボールに詰める。
私には分からないが高価な茶器のようなので慎重に取り扱う。

我々4人と親戚の方3人で梱包をするが仕分はお母さんの指示による。
一緒に活動しているボランティアのUさんはお茶をやっているらしく大活躍である。
珍しい茶器に感激しているが私には全然わからない。
「なんでも鑑定団」に出したらおいくらになるのだろうとかと話がはずむ。

高価な品物で仕分けも時間がかかり梱包も慎重にしたので作業はあまり進まなかっ
たが、まあこれも「よし」としよう。明日また来ます。

今日は岩手県に天皇・皇后両陛下が訪れ花巻からヘリで釜石に行き午後からはこの
宮古にも来られたようでへりが何機も飛来していました。

                                        記:サク

2011年5月5日木曜日

今日のお仕事

今日も側溝のヘドロ掻きだし作業。
教会から4本東の向町の通りを行う。
昨日の経験を生かし4班に分かれて側溝の蓋外し、泥掻き、交通整理を行う。
YMCA12名、岩大生9名、地元の方10人で総勢30名ほどの大所帯となる。
今日は地元の町内会の方と一緒の作業になる。
休憩時間にはお菓子と缶コーヒーの差し入れも頂き感謝。
昨日と違ってバス通りのため側溝の蓋が頑丈で重い。
道の出入り口には誘導係を配置して車の往来には十分気をつける。
地域の方々との共同作業で一体感を感じさせてもらいました。

                                       記:サク

嬉しい出来事

最近、地元のボランティアの方が増えてきています。

ニーズを受けて深くかかわった方が、「何かお手伝いしたいので」と、我々と活動を共にされているのです。

被災された方々が、復興に向けて自ら歩き出す。

我々は、彼らに寄り添い、お支えすることぐらいしかできません。

けれどそれが、彼らに大きな勇気を与えているのかもしれません。

ここ宮古も、少しずつ変わろうとしています。

                                    Hoda 記

2011年5月4日水曜日

側溝の清掃

最近、急に増えだしたニーズに、側溝のドブさらいがあります。

最初は個人の家の前だけでしたが、道路から道路までとエリアが広がりつつあります。

自宅の中から自宅の外、その近隣へと、生活環境の快適さを求める傾向が広がっていると考えられます。

今はGW中で人手も多く対応できていますが、(それでも20人以上かけ丸一日の作業)今後は我々の力だけでは対応できなくなる恐れがあります。


近隣住民と協力し、生活環境の改善に力を貸すのも大切ですが、ニーズがあっても表に現れてこない隠れたニーズがあることも忘れてはなりません。

                                               Hoda 記

2011年5月3日火曜日

一ボランティアの雑感

東京に帰ってきて2週間が経とうとしています。宮古にいたのも、わずか2週間足らずでしたが、今でも瞼を閉じると、宮古の光景や、そこで出会った人たちの姿がまざまざと蘇ってきます。

宮古南部の津軽石で見た海の水面は、まるで津波などなかったかのように、光を浴びて揺らめき、木々は新緑を芽吹かせ、風は優しく頬を撫でていきました。国破山河有という言葉が、これほど辛辣に思えたことはありません。

「家族が一ヶ月たってやっと見つかった」「何も悪いことしてないのに、どうして…」「この先、どうやって生きていけばいいのか」というご家族を亡くされた人、家が土台から流されてしまった人の一語一句は、津波で破壊された壮絶な光景に劣らず、記憶に強く刻み込まれています。まるで、細胞一つ一つに、被災された方の悲しみが移植されてしまったような感じです。

宮古の市街の一部は少しずつですが、「復興」しているかもしれません。しかし、遺体の捜索が終わってない、或いは終わったばかりの地域では、津波直後とひとつも変わらない光景が延々と続いています。また、そこで避難生活を余儀なくされている人たちの、絶望や悲しみも、一縷の希望に変わることもなく居座り続けています。また、宮古市街であっても、取り残されている人たちと、そうでない人のあいだで「復興格差」が出来ていることも、紛れもない事実です。

僕自身、今後、どのように活動していけばいいのか、模索する日々が続いています。

堀内

2011年5月2日月曜日

最近の活動

昨日、岩手大主催の花見のお手伝いをしてきました。
               
我々もテーブル一つを頂き、被災者の方と交流しました。
似顔絵と折り紙は、被災者の方にも楽しんで頂けたようです。
多くの笑顔と、感謝のお言葉は、クライマーが宮古に来た記しとなるのではないでしょうか。

最近のニーズは、ヘドロかき、壁壊しと、引っ越しが多くなってきています。
これは、避難所から出て、次のすみかに移り住む方が増えたためと分析しています。

自宅に戻られる方は、自宅を修繕するために床板、壁の張り替えや、床下のヘドロかきを希望されておられるようです。

       床下のヘドロかき


壁壊し

一方、自宅に戻られない方は、仮設住宅や公営住宅、アパートに引っ越す方が多く、家財道具を移動する際の人手を欲しているケースが多く見られます。

今後、このニーズは高まると考えています。
現在20名以上のボランティアで活動しておりますが、フル活動です。
GW後の人手不足が心配です。

                                                 Hoda 記

ひとつひとつ丁寧にやる

今日は日曜礼拝があるので、メンバーみんなで一斉に礼拝堂の掃除をしました。今まではボラ拠点化していた教会も、今日は完全にいつも通りの形態で進めました。教会は街とともに復興すべきとの考えで支援物資やボランティアメンバーの寝袋等もそのままとなっていましたが、一方で日曜礼拝くらいは日常を取り戻したいという教会員の方の強い願いもありました。
みんなでやればあっという間です。教会員の方にも喜んでもらえたので良かったです。

また、今日はずっと懸念だったSさん宅の床板を仮設置する作業をしました。Sさん宅には一カ月以上お伺いしており、濡れた畳や家財道具の搬出、床下のヘドロ出し、掃除などたくさんのお仕事をさせていただきましたが、一室が床板をはがした状態のままになっていました。床板が無いのは危険ですし、まだ宮古では朝晩は相当冷え込むので、取りあえずコンパネを打ちつけて応急措置をしたいとみんな思っていました。

ここまでくると立派な大工仕事で、ボランティアがやるべき仕事なのかという考えもありますが、Sさんとは長くお付き合いしており、何よりこのままでは危険な生活を強いられるということから、例外的に大工仕事をすることになりました。

ボランティアメンバーの一人に日曜大工のプロがいたため、手際よく枕木の打ちつけからコンパネの切断までスムーズに進みました。

明日の午前中で設置は完了しそうです。畳は高いですが、コンパネの上にゴザを敷けば少しは生活しやすくなるかと思います。



地元の方のサポートも僕らの活動には欠かせません。写真嫌いと言われ一度は拒否されましたが、とってもお世話になっている方なのでやや強引にシャッターを押させていただきました。


30名以上となるとミーティングもなかなか大変です。僕らはなるべく丁寧に仕事をするために、朝食、昼食、夕食後に全員参加のミーティングを開き、全員で意識共有をしています。ややもすると、時間がかかり過ぎてしまうのですが、やはり一週間単位でメンバーが交代する中では、作業内容だけにとどまらない今まで経過や先方の状況などを確認することがとっても大事。


総勢30名。明日は岩手大学生も加わり40名近くで活動します。有志だけでこれだけ集まるって単純にすごいですね。

本日洗濯機支援もできました。宮古教会の幼稚園の父兄の方のご自宅です。とっても喜んでいただけました。
皆さまから頂いた洗濯機も残りあと6台。乾燥機も2台あります。一通り避難所のニーズは伺ったのでこれからは個人のお宅にも配布していきます。
(※ここ宮古教会では保管場所が限られており洗濯機はすでに保管場所が確保できない状態です。今後必要になる可能性もありますが、今は足りておりますので、洗濯機を事前連絡無く送られることのないようお願い致します。)




明日からは一週間ほどいた玄人ボランティアメンバーが抜け、またフレッシュなメンバーが入ります。
(真野)

2011年5月1日日曜日

GWモード突入!

昨日からGWモードに突入し、ボランティアが26名に倍増しました。盛岡YMCAのお知り合いの方や近所の焼き鳥やさんの知り合いの方などメンバーのバラエティも広がり、クライマーばかりだった今までとは雰囲気がガラっと変わりました。1週間単位でメンバーが入れ替わるので、毎週雰囲気が変わるのもボランティアの面白いところです。


さすがに食事のレイアウトも変えざるを得ず、机を2島にして30名程度がどうにか一度に食べられるようにしました。



YMCA堺より似顔絵の得意なイコさんがいらっしゃり、去られるメンバーへ漏れなく(今のところ)似顔絵をプレゼントしてくれます。


もうひとつ嬉しい報告。このブログを見て、山田町の災害ボランティアセンターより洗濯機提供の要請がありました。山田町はここ宮古から30kmほど南下したところで、町全体がかなりの被害を受けたところです。山田町災害ボランティアセンターはB&G海洋センター内にありますが、もともと宿泊施設ではないため洗濯機がなく、現在100名のボランティアが寝泊まりしていますが、皆、水で手洗いでした。今回お電話いただいたのは、鹿児島県のNPOの方で現在、山田町のVCに滞在されている方。ボランティアの受け入れ環境を改善すべく遠く離れた場所で奮闘されていました。
自治体のバックアップのある社会福祉協議会主体のVCなのでボランティアの受け入れ体制もシステマチックにしっかり進められているようでしたが、自治体であるが故の柔軟でスピーディな対応ができないのかも知れません。そういう意味では、このVCほどフレキシビリティの高いVCは少ないのかも知れません。取りあえず、2,3台とのご要請だったので、中古品2台をご提供したところ大変喜んでいただきました。

これで皆さまからご支援いただいた洗濯機はあと残り11台です。(うち6台はこちらの拠点や関係の幼稚園などに設置する予定です)


また今日は岩手大学生主催の花見でした。ここから20分程度行った花輪交差点を左折したところにある”桜づつみ”が会場です。バスを貸し切って避難所から30名程度、学生も30名ほど参加して散りゆく桜を楽しんだようです。こちらからは学生ご指名により2名派遣しました。


夜ごはん&ミーティングの後、少し街を散歩してみました。すぐ裏の飲み屋街(グリーンハウス)は3割くらいが営業を再開していました。まだ賑やかとは言えませんが、確実に復興しつつあるのを感じます。


明日はかなりメンバーが入れ替わります。今までいたメンバーからの引き継ぎをしっかり進めないと。
(真野)